ウォルター・ヴァン・ベイレンドンクの生い立ち|車の修理工場の少年が「アントワープの6人」になるまで

ウォルター・ヴァン・ベイレンドンクの回顧展「Dream the World Awake」の展示風景 WALTER VAN BEIRENDONCK
Photo: Rosa Menkman / CC BY 2.0 / Wikimedia Commons

カラフルな服に、宇宙人やモンスター、そして社会へのメッセージ。そんな唯一無二の服を作り続けるウォルター・ヴァン・ベイレンドンクは、どんな少年時代を過ごし、どうやってデザイナーになったのでしょうか。

この記事では、ウォルター本人の生い立ちと、デザイナーとしての歩みを、インタビューなどをもとにたどっていきます。ブランドやW&LT、パクパク君についてまとめた記事は、こちらです。

ウォルター・ヴァン・ベイレンドンクとは?アントワープの6人、W&LTとパクパク君、今も続く唯一無二の世界
ベルギーのデザイナー、ウォルター・ヴァン・ベイレンドンクを解説。アントワープの6人、W&LTの時代と「パクパク君(Puk Puk)」、教育者としての顔、現在のコレクションや古着の探し方までまとめました。

こちらが、ウォルター本人です。アントワープのモード美術館(MoMu)が、展覧会にあわせて紹介している投稿です。

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小さな村の、車の修理工場で育つ

ウォルターは1957年、ベルギーに生まれました。育ったのは、アントワープ近郊の小さな村、ザントホーフェン。両親は、村で車の修理工場を営んでいたそうです。

ファッションとの最初の接点は、意外にもお母さんでした。買い物が好きだったお母さんと一緒に、クロード・モンタナのレザーコートのような服を買いに出かけていたといいます。

そして13〜14歳のころには、厚底の靴をはき、自分を表現するための過激な服を求めて、ロンドンまで買いに行っていたそうです。ベルギーの田舎の少年が、ひとりでロンドンのカルチャーを浴びに行く。今のウォルターの服に通じるエネルギーは、このころからすでにあったのだと思います。

デヴィッド・ボウイという衝撃

ウォルターを語るうえで欠かせないのが、デヴィッド・ボウイです。はじめてボウイを見たときから、ウォルターはその存在に夢中になったといわれています。性別も常識も軽やかに飛び越えていくボウイの姿は、のちのウォルターの服にそのまま重なります。

2013-14年秋冬のコレクションでは、ボウイの象徴でもある稲妻のモチーフをあしらったジャケットで、ボウイへのオマージュを捧げました。2011年に開かれた回顧展でも、ボウイのイメージがインスピレーション源のひとつとして紹介されています。

画家志望から、ファッションの道へ

ウォルターは、もともとは画家を目指してアントワープ王立芸術アカデミーに入学しました。ところが、学校のファッションショーに心をつかまれ、ファッションデザイナーを志すようになったといわれています。

当時のアカデミーの課題はとても厳しく、使える生地は白いコットンだけ。歴史的な絵画をもとに服をデザインするような課題を、毎週くり返していたそうです。1980年、ウォルターはこのアカデミーを卒業します。

1978年からのパートナー、ダーク・ヴァン・セーヌ

ウォルターの人生に欠かせないもうひとりの存在が、ダーク・ヴァン・セーヌです。同じアカデミー出身で、のちに「アントワープの6人」のひとりとなるデザイナー。ふたりは1978年からのパートナーで、何十年もザントホーフェンで一緒に暮らしてきました。

アントワープには、ふたりで開いたお店「Walter」もありました。元は駐車場だった広い空間を使い、入り口のドアはガレージのように上下に開く、ユニークなお店です。車の修理工場で育った少年のお店が、ガレージのような入り口だったのは、なんだか面白いつながりだなと僕は感じます。

すぐには報われなかった下積み時代

卒業後、ウォルターはパリで有給のインターンシップを探しましたが、うまくいかず、アントワープに戻って自分のブランドを始めます。けれど、それだけで食べていけたわけではありません。ベルギーの会社「Bartsons」で、およそ10年間、トレンチコートやテーラードの服をデザインしながら、仕立ての技術を磨きました。

1985年ごろからは、母校のアカデミーで教え始めます。同じころ、ジャンフランコ・フェレのためにスポーツウェアのラインもデザインしていました。今の自由な服の裏には、こうした地道な仕立ての経験があるのです。

1986年、「アントワープの6人」としてロンドンへ

1986年、ウォルターはアカデミーの仲間たちとロンドンで作品を発表します。ベルギーから来た6人の若手デザイナーは大きな注目を集め、メディアから「アントワープの6人」と呼ばれるようになりました。ベルギーが「ファッションの国」として世界に知られる、きっかけになった出来事です。

6人がそろった写真は、こちら。2026年には、ロンドンでの発表から40年を記念して、MoMuで大規模な展覧会「The Antwerp Six」が開かれています(2026年3月28日〜2027年1月17日)。

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ちなみに、ウォルターのトレードマークでもある長いあごひげ。これは1988年にひげを剃るのをやめてから、ずっと伸ばし続けているものだそうです。

アントワープの6人について、メンバー全員のブランドや歴史は、こちらの記事でまとめています。

アントワープの6人とは?メンバー6人のブランドと歴史、40周年の展覧会まで【Antwerp Six】
アントワープの6人(Antwerp Six)とは?ドリス・ヴァン・ノッテン、アン・ドゥムルメステール、ウォルター・ヴァン・ベイレンドンクらメンバー6人のブランドと1986年のロンドン、マルジェラとの関係、MoMuの40周年展覧会までまとめました。

W&LTの成功と、MUSTANGとの裁判

1992年、ウォルターはドイツのジーンズメーカー「MUSTANG」と契約し、1993年春夏にW&LT(Wild & Lethal Trash)をスタートさせます。予算と自由を手に入れたウォルターの服は大ヒット。最盛期には500以上のお店で売られ、日本にも広がっていきました。

ところが、1997年ごろからMUSTANGはウォルターの服の売れ行きに疑問を持ち始め、自由なデザインを制限するようになります。ウォルターは、自分の名前で服を出させないために会社を相手に裁判を起こし、その争いで破産寸前まで追い込まれたといいます。

それでも本人は、のちにこの契約から抜け出したことを「人生で最良の決断だった」と振り返っています。自分の服を、自分の手で作る自由を取り戻したからです。

教育者として、次の世代を育てる

MUSTANGを離れたあと、ウォルターは自分の名前のブランドで再出発します。そしてもうひとつの大きな仕事が、教育でした。2007年からはアントワープ王立芸術アカデミーのファッション学科のトップとして、多くの学生を育てます。

ラフ・シモンズやベルンハルト・ウィルヘルム、クレイグ・グリーンといったデザイナーも、ウォルターのもとで研修やアシスタントを経験しています。65歳で定年を迎えてアカデミーを離れたあとも、イタリア・フィレンツェのポリモーダで指導を続けています。

2011年、回顧展「Dream the World Awake」

2011年9月から2012年2月まで、アントワープのモード美術館(MoMu)で、ウォルターの回顧展「Dream the World Awake」が開かれました。W&LTから現在までの作品が並び、2013年には同じタイトルの作品集も出版されています。

2026年、パクパク君が3メートルのロボットになって帰ってきた

「The Antwerp Six」展で、ウォルターはW&LTのマスコットだったパクパク君(Puk Puk)を、高さ3メートルのロボットとしてよみがえらせました。展示の中では、ウォルター本人とパクパク君が向き合い、今の世界について語り合うという演出になっています。

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90年代に生まれたキャラクターが、30年たって、また新しい姿で世の中にメッセージを投げかける。過去の焼き直しをしないウォルターらしいよみがえらせ方だなと、パクパク君好きの僕はとてもうれしくなりました。

展覧会は、開幕から半年で10万人が訪れるほどの人気に。2026年にはアントワープでブランド40周年のショーも開かれ、6人を追ったドキュメンタリー映画『The Six』も公開されるなど、アントワープの6人に再び注目が集まっています。

ウォルター・ヴァン・ベイレンドンクの年表

年できごと
1957年ベルギーに生まれる。ザントホーフェンで育つ
1978年ダーク・ヴァン・セーヌとパートナーに
1980年アントワープ王立芸術アカデミーを卒業
1985年ごろ母校で教え始める
1986年ロンドンで発表。「アントワープの6人」と呼ばれる
1993年MUSTANGと組んだW&LTがスタート
1997年U2「PopMart Tour」の衣装を担当
2007年アントワープ王立芸術アカデミーのファッション学科のトップに
2011年MoMuで回顧展「Dream the World Awake」
2026年MoMuで「The Antwerp Six」展。パクパク君が3メートルのロボットに。アントワープでブランド40周年のショー

まとめ

車の修理工場の息子として生まれ、ボウイに憧れ、ロンドンに服を買いに行った少年。下積みや裁判を経ても、ウォルターは自分の服を作ることをやめませんでした。本人は今も、「ファッションはコミュニケーションの手段だと今でも信じている」と語っています。

あのカラフルで、ちょっと不気味で、メッセージにあふれた服の裏には、こんな人生があったのだと知ると、パクパク君もまた違って見えてくるかもしれません。

ウォルター・ヴァン・ベイレンドンクとは?アントワープの6人、W&LTとパクパク君、今も続く唯一無二の世界
ベルギーのデザイナー、ウォルター・ヴァン・ベイレンドンクを解説。アントワープの6人、W&LTの時代と「パクパク君(Puk Puk)」、教育者としての顔、現在のコレクションや古着の探し方までまとめました。

アイキャッチ画像:Rosa Menkman(CC BY 2.0)/Wikimedia Commons

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